私の宝物の話

 

大事にしていたものに別れを告げた。

今まで何度も言葉にした「ありがとう」の価値を下げるわけではないが、

昨夜の「ありがとう」は、今までで一番心から言えたと思う。

 

ただのゲームだ。

なくても困らない、その存在を知らない人すらいる、決してメジャーではないただのゲームの話だ。それでも私にとっては、宝物のように大事なゲームだった。

「そんなゲームあったっけ?」「あのクソイベントのゲームでしょ」「ゲーム性が悪かった」マイナスの反応が多いそんなゲームを私はずっと愛してたし、今も愛している。

 

はじめたのは五年前。

終了したのは二年前。

たった三年間のその期間は、私にとって本当に大事な日々でした。

 

 

 

少しね、思い出を書いていこうと思う。

 

五年前、当時の職場から一番近いゲームセンターにそのゲームが入荷したんだ。

私の周りはそのゲームジャンルが好きな友人が多くて、ゲームセンターはよく行ってたんだけど、

みんなのいう「メインジャンル」というものが私にはずっとなかった。

そのころはとくに待ち合わせなんかしてなくても、会社帰りに「〇〇でゲームなう」ってツイートしたら、ゲームセンターに友人が立ち寄ってくる。逆もある。

一緒にプレーすることもあるけどだいたい好きなものを好きなようにプレーして、遅い時間になってなんとなく示し合わせたようにラーメンとかファミレスとかに連れ立ってご飯を食べて解散。
そういう日々が好きだった。

でも、プレーするゲームがないときが多々あった。
そのときハマってたゲームはあったけど、当時このゲームセンターでは順番待ちが発生することが多くて、私は友人が遊んでいる間、時間を持て余していた。

いろんなゲームがあったんだけどね。


そのゲームセンターは真剣にプレーしてる人が多かった。夢中で、次こそクリアするぞ、あれに挑戦するぞ、そうやって心底楽しんでプレーする人が多かった。(実情は違うかもしれないけど、私にはそう見えてた。)
それを邪魔できなくて、そこまでそのゲームに対して熱量のない私が物見遊山でプレーするとその人が待たないといけない、そう思ってしまって、なんとなく手持無沙汰な時間があった。

 

そんなときに新規入荷として出てきたのが、後に私が大好きになるゲームだった。

8台。なんと8台入荷。太っ腹の8台。
他の人との熱量の差を心配しなくて済むし、誰の邪魔もしない。そんな存在は、私の恰好の遊び相手になった。

ただ「空きがある」台だからと始めたゲームなんだけど、やりはじめたらびっくりした。プレイ感すら私にとって楽しいゲームだったから。

そもそも私はボタンに慣れなくて、タッチパネルが好きだったんだけど、そのゲームもタッチパネルだったし、腕が細かったから画面見づらいなんてこともなかった。
プレーできるものはちょっと偏りがあったけど、全部楽しかったんだよ。

悲しいことでもあるんだけど、このゲームセンターでこの台が満員になることはほとんどなかった。一回だけは見たことあるかな。(後述するけど、あのイベント中は満員だったんじゃないかな。)
だからこそ、ずっとプレーできた。低いレベルをフルコンだとか〇割クリアとかで解禁していく称号のようなものもあって、当たり前に上達の道があった。

夢中で、次こそクリアするぞ、あれに挑戦するぞ、そうやって心底楽しんでプレーする、そんな熱量のプレーヤーに私もなれたんだと思った。

それは当たり前のように私の居場所になった。

スマートフォンの写真フォルダはほとんどゲームのリザルトの写真だった。
愛車ではそのゲームのためにセットしたプレイリストをずっと流してたし、
仕事いくときも通院するときも家族と出かけるときも、ずっとそのプレイリストを聞いていた。

 

それから少し後に色々あって、入院することになったんだよ。
入院する直前まで車を運転してゲームセンターに通ったよ。
その頃は会社も退職してたし、駐車場のある違うゲームセンターに通ってた。
冬の真っただ中、帰り道の冷たいハンドルをよく覚えてる。
車内があったまるまで、その曲を聴いて、その動画を見てた。

その時はすぐ退院して、またゲームセンターに通い続けてつかの間の楽しい時期を過ごしてたけど、
やっぱりだめで、また入院することになった。今度は長期。
週に一回は抜け出してそのゲームをしにいったよ。許された外出のほとんどゲームセンターに使った。必要な買い出し以外全てって言ってもいい。
唯一の息抜きだった。iPadに動画は入れてたけど、親に頼んで暇つぶしの本もかなり持ってきてもらってたけど、全然満たされなくて。
家族にかなり心配かけてたのに、なんて自分勝手なんだろうね。これは反省点だな。


だんだん暑くなってきたころ、やっと退院した。
私の愛車はもう暖房じゃなくて冷房になってたし、入院中兄がメインで運転するようになってお気に入りのプレイリストは流れなくなった。

まあ、退院したらから働かないといけないわけで、その一か月後には就職で上京した。

新しく住み始めたところは、まーーーーーーーゲームセンターから縁遠い土地だった!
たまに街に出たときにしかできなくなって、そのゲームから、というかゲームセンターから離れた日々を送ってた。
(その時は他に好きなジャンルもあったしね)

そしたらあのイベントがはじまったんだよ。
ワクワクしたよ。全機種連動イベントで、あのほとんど満員にならなかったゲームをみんなプレーしてくれる、そのゲームが合わないって言ってた友人もプレーしてくれてそのゲームの話ができるようになる!そう思った。

できる限りゲーセンに通うようにした。毎日は無理だったけど、私もイベント進めたいし。写真フォルダは再びそのゲーム写真ばっかりになった。(今度はリザルトじゃなくて、イベントの進捗みたいな写真だったけど。)

この時、初めてそのゲームに対する純粋な暴言を聞いたよ。
「あんまり楽しくない」「自分には合わない」「ちょっとねー…」くらいの話は今までも聞いてたけど、「クソゲー」「なんでこんなクソイベにしたんだ」「捨てゲーしてる」なんてものを山ほど見かけた。

確かにね、楽しくない人からしたら苦痛を押し付けられたようなものだったんだろう…。
ガラガラだった台に初めて並び列の立て札ができたし、連日満員だった。その光景はうれしかったけど、最短プレーの捨てゲーが基本になってしまって、普通にプレーしてる人が選曲時間とかプレー時間に白い目で見られることはザラだった。

このゲームをより一層固執して好きになったのも、このときの「不憫で」という感情からきてるのかも。

 

イベントが終わって、アップデートしたゲームは、私のプレーしやすい環境に戻っていった。
プレーヤーがイベントから解放されたからね。行列は見なくなった。
でもイベント効果なのかアップデート効果なのか、ガラガラではなくなって、プレーしてる人が前より増えてた!
偏ってた曲もかなり改善されたしね。嬉しかったな。
ただ、アップデートしたころには、かなり台数が減った店舗が多かったな……。だから人が増えたように見えたのかな。

私もゲームセンターにいく頻度がまた下がって、たまに行ったらたくさんプレーして、そんな日々を過ごしてた。
気が付けば新居は更新の時期で、私はゲームセンターからの距離を優先して新居を探した。ゲームセンター徒歩三分のとこに住んだよ。

その頃は他のゲームもプレーしはじめてた。友達の影響でだけど、全機種連動イベントでプレーする心的ハードルが下がってたっていうのも一因。

「楽しい」がそろったこのゲームセンターの居心地は本当に最高で、楽しくて仕方なかった。

 

でも突然の予告で、ゲームはいついつまでって言われて、
二年前の夏に稼働終了しました。

 

長くなったね。ここまでがこのゲームの思い出。
短い3年。

入院なんかしてないでもっとゲームをプレーしてたら、
どんなに遠くても毎日ゲームをプレーしに通ってたら、
他のゲームなんかせずにずっとプレーし続けたら、
まだあったのかなって後悔をいまだ持ってる。
たぶんあんまり関係ないんだけどね。私一人の行動で変わる未来じゃなかった。

 

大好きだったな。
「そんなゲームあったっけ?」「うっわそんなんあったなぁ」「なんであんなんがいいんだよw」
って、からかう人はいたし(今もいるけど)、私はそのたびにすごく不愉快だった。
「うるさい!私は復活待ってるの!」そんな頑なな態度だった。

(もちろん冗談でいう人もわかってるし一連の流れだったから、恨みとかそういうのは全然ちがうよ。)

 

前置き……でもないけど、この結論にくるまで時間がかかっちゃったな。


昨日、イベント出演の場をいただいて、このゲームについて語る時間をいただいた。
60分も!

話をもらってからすぐ準備してたし、当日出番直前までプレゼンを修正・追加してたよ。音量チェックとか画面表示チェック画面は当日に追加しました。

 

そのイベントは「死にゲー特集回」でした。

長らく「うるさい!私はまだ待ってる!終わってない!」と頑なだった私が、初めて、「終わったゲーム」として向き合った。

 

すごく満足のいく結果だったんだ。
みんな笑ってくれて、冗談とかからかいもあるけどそれはちゃんと聞いてくれてるからで、緊張はすごかったけど、ここで私はやっと「自分で幕を引く」ことができたんだ。


終わってからの二年間、曲を聴くと、動画を見ると、譜面を見ると、キャラクターを見ると、心の中がなんかに圧迫されて泣けてきてしまうことが多かった。
少し前に和歌山の友人のイベントにいったんだけど、そこでテーマソングがかかって、私ずっとぼろぼろ、いやダバダバーー!ってレベルで泣いてた。(その説は本当にありがとうございました。)
そんな私がだ、昨日は泣かなかったよ。

昨日終わってから「弔えた」って言葉が自然に出てきて、それが今しみじみと私の中に広がってる。うん、あれは弔いだった。
さよならは言ってないしありがとうとばかり言ってたけど、間違いなく、お別れだった。

 

「そんなゲームあったっけ?」
って、たぶんまたこれからも言われるけど、そうなんだよ、すごく楽しいゲームがあったんだよ!って、今日からは言えると思う。
ちょっとはムッとすると思うけどね!

 


さて、長くなってしまった。

この話はここで終わりにするけど、私はこれからもビートストリームが大好きだよ。

また会えたら。
また遊ぼうね。ばいばーい!