ドキドキの価値

それが何かわかって安心して買えるリスクのないものにしかお金を払わない文化ができてるっていう音楽の話題を最近見た。最近はyoutubeとかspotifyとか、配信された音楽で満足して購入に至らないらしい(spotifyやAppleMusicなんかはサービス料が発生してるけど)。

確かに音楽にそこまで関心のない人はそれで満足するし、購入まで至るのはよっぽどその対象が好きだから。私も大好きなアーティストのCDはジャケットから曲順、歌詞カードのフォントとか装丁とか、帯の文言とか、そういうの含めて全部味わいたいから購入する。そうでもない「なんか気になるなぁ」程度では購入に至らないのが現実だ。幸か不幸かクリエイト側の人間が周りに多いのでこんなところに書き捨てるしかできないんだけど、私はあなたたちの作品を金出して装丁から曲順から味わいたいほど求めてないよ。(だからって必要ないとは言わない、これ食べたいって熱望して行くラーメン屋さんには当然お金出すけど、そこまで好きじゃないお菓子だって手元にあったらつまむでしょ。)。

 

言いたいことの本題はここからで、上述のように自分にとって価値があるものに対してお金を払うのは当然だけど、自分にとって価値がないからお金を払わないのは当然ではないと思う。

音楽に関わらず、無料展示されている作品や、ゲームの攻略、最新情報だって、本当は適当に消費していいものではない。

無料展示されている作品にだって展示順、ライティングも考えてるだろうし、その演出が作品をより感動的にすることだってある。ゲームは最初のドキドキ感、ワクワク感も魅力の一つ。どこかの会場限定で明かされる〇〇の続編が開発開始か!?みたいな最新情報だって、私にたどり着いていい情報なのかというと違うと思う。

そういうライブ感のような魅力を求めてないとか、遠征する価値がないとか、ゲームは効率的にやりたいとか言う人がもしかしたら今の主流なのかもしれない。クリエイト側の人間が細部までこだわってるのをわかってても、消費側の人間はさほどファンでもない限り好んで消費しようと思っていない。(人間の豊かさとか貧しさの話をするつもりはない。)

 

うまく話をまとめられないなー。どうせ読み返す度に恥ずかしいからのんびり推敲します。

 

自分が得られる情報は価値のある情報なんだからちゃんとその価値は自分で守ればいいのにって思っただけ。無料で消費できる状況が当たり前になってるバカな消費者が問題とよく言われるけど、情報を無価値にしてバカに消費させてるのは購入者の方(一部とはいえ)。お金は回してこそ価値がある。なんでもかんでもSNSでシェアする文化の失敗点。

無情報で買う音楽とかゲームとか、楽しめるのに楽しもうとしない人間が多い。失敗だったとしても失敗がないと成功の価値が下がるだけなのに、魅力を感じ取る視力を自分で下げておいて偉そうに批評してる。最初から90点以上しか食べたことない奴らが見下す対象を増やしてマウントとってるけど、酸いも甘いも知らないでうまいまずい言ってんの恥ずかしくないんか。

 

まあSNSで正しい対価を求めてるの、同人作家とか漫画家の声しか聞こえてないけど。