自己紹介むずかしい

私は自分が好きだ。

どれくらい好きかというと初対面で会った人間に「初めまして、井上です。自分が大好きです」というくらい好きだ。

 初対面なんてそんなものでいいと思っている。「井上ってなんなの?」と言われてもどうせうまく答えられない。私は私だとしか言いようがない。昔なら前略プロフィールのIDを出せば初対面でも自己紹介ができたのかもしれないけど求められているのはそういう情報でもないのだと思う。そもそも「誕生日は1月13日です」「兄が2人います」なんて情報、初対面の時点で知りたい情報ではない。

 

多くの人間は自分のことを語りたい。

そんなことはないかもしれない。とりあえず私は自分のことを語りたい。私はこういう人間でこういう人を尊敬していてこういう音楽を聴いています。自分を知ってほしいという承認欲求がある。でもその情報に興味がある人はいないしいるとしたら私のファンだ。私にファンがいないことが悔やまれる。

じゃあ逆に、他人が欲しがる情報は何なのか。それは情報を求める背景にあるのだろうと考える。多くあるのは初めましてのタイミング。例えば初見で「アニメが好きなんですよ」みたいな情報を提示しておけば、以後アニメの話をしてくれるだろう。初見でどういう人間なのか知っておくことで会話ジャンルを狭めるために他人の情報を求めている。

結局は、語りたい情報を聞いてくれる人はいないし、求められている情報は「お前はどう扱えばいいのか簡単に教えてくれ」程度のことなのだ。

 私はだいたいそういうとき上手い返しもできないので「自分が好きなかわいい女の子です。」で通している。その時点でネタとして扱ってもらえる。「あっこいつは可愛いって言っておけばいいんだな」というイメージを持たせ、更に「井上可愛い!」と言われるごとに「やった~!」と純粋に喜んでおくことで扱いやすい印象を持たせる。扱いやすいというのは悪く聞こえるかもしれないが、単純でバカなキャラクターというのはそれだけで十分なキャラクター性を持っているので侮れない。勝手にこちらを下に見てくれるのだ。「まぁ井上だし」くらいの軽さで失言を零すことから始まり、「井上ならいいだろう」くらいの軽さで裏話や後ろ暗い話を語るようになったら末期なので気を付けてほしい。

 会話が苦手だ。なので、相手に喋らせたい。適当に扱ってくれればもうそれでいい。なんとなく会って「あっ井上じゃん乾杯~!」くらいの軽さで付き合っていけれればそれでいい。

 

初めまして、井上です。友達より浅いペラッペラな距離感が気持ちいいです。

反省文(としか言いようがない)

多分いつかスクショを取られて回付されるのだと思う。

 

自分の考えが幼い自覚はあるが、自分が正しいと思ったことを信じて生きてきた。

自分が大人だと思うとき、その目の前には子供がいる。逆もしかり、自分が子供だと思うとき、その目の前には大人がいる。大人と子供なんて言葉は比較に使う言葉であり、そのものを表す言葉ではない。

そのときそのときで練り固めた正論は、ある一方からは子供の戯言にしか見えないし、逆からは大人の理論と見えている。果たして今の私はどこにいるのだろうかと、その自問自答に意味がないことをわかった上で思わずにはいられない。

 

できれば、大事にされたい。子供の戯言だとして、大人の理論だとして、そのどちらであっても大事にされたい。正論でボコボコに殴られるのも、下を見て自分を慰めているのだと笑われるのも嫌だ。「私がそう思う」を肯定してほしい。

 

「私がそう思う」を肯定するのは難しい。思うだけなら誰でもできるからだ。這って喋って立って歩いて生きることを褒めるのは愛情がある相手だけであり、腹を痛めた母だけが「ミルク飲めたね、えらいね」「立てたの、えらいね」「宿題できたの、えらいね」と肯定してくれる。

 

結局は無条件に甘やかされたいのだと思う。

自分を甘やかしてあげられるのは自分だけだ。何があっても裏切らないし洩らさない。欠席の仕様がないから、裁判もない。

 

いつかスクリーンショットで欠席裁判を受ける私の正論は、最初から敵陣の中にいることに気付いていなかっただけ。理解者は自分だけでよかったのに。

 

 

 

 

気が付けばあと二か月も経たないうちに26歳になります。

幼いころは冬休み、クリスマス、お正月、祝日(成人の日)と楽しい行事がぞくぞくと続き、トドメに君臨している誕生日というこの期間がもうスペシャルでハッピーで胸を躍らせたものだけど、そんなこと言ってられる年齢じゃなくなってきた。

 

26歳女性ってどんな姿を想像しますか?

 

綺麗で、控えめな花柄のスカートに薄手のニットにパステルカラーのカーディガンを羽織ってて、毛先はふわっとまるめちゃって、月に一度はエステと美容院に行って自分をお手入れして、毎週水曜日はジムとかヨガとかで体型管理しちゃって、恋人がくれたペンダント(控えめで普段使いしやすいワンポイント)なんか付けて出社しちゃって、夜は六本木で夜景の綺麗なレストランで恋人とスパークリングワインなんかで乾杯しちゃって、お風呂上がりは頭にタオル巻いて丁寧なスキンケアをして、休日は恵比寿の友人が経営するサロンでネイルして代官山のcafeでパンケーキ食べてインスタグラムにあげちゃう、そんな女性を想像しませんか?

 

そんなもんに私はあと二か月も経たないうちになれんのか。

そんな女に憧れがあるわけではない。が、自分が持っていたイメージとあまりに乖離しすぎているため、受け止められない。これが現実なのか。私という存在は現実だったのか。嘘だろ。

 

やだもう年取りたくない、もう年取りたくない。

 

 

 

会話のピッチングマシーン

皆さん言いたいことそんなたくさんありますか?


書きたいことはたくさんある。
でも、話にオチを付けるのが苦手なのでアウトプットが汚い。
誘導してもらわないとちゃんと話せないし、人の話を聞く側に徹してきていたため、会話の方法がわからない。

 

自分から発信するものは全て「※個人の感想です」とテロップを付けたくなるようなものばかりで、例えば「今日はいい天気だなあ。」終わり。である。
自分の興味のあることを話題にしたらいいんだよとはよく聞くものの、それすらできない。
会話例で言うならこう。

 

①最近牛乳飲むの好きなんだよね。(起点)
②へえ、牛乳?(興味)
③うん、平日は500ml買って飲んでる(補足)


これ、言われたところで「あ、そう、へえ」ってなりません?

だから何なの…?という反応が見えている。そもそも話題のバリエーションを知らない。LINEだったら「いいね!」みたいなスタンプ送って終了するしTwitterだったら何も反応もなく過ぎる話。話題でもない。

 

ただそれが面と向かった会話であれば、そのあと言いようもない空気が流れる。
無言が作り出される。無を作成しちゃってんのか私、やるじゃん。

頑張れば会話の発展はあるかもしれないが、言い換えると「頑張らせてしまう」に繋がる。それが見える時点でもう会話すらしたくない。提供された話題ならいくらでも返事をするからこちらに喋らせないでくれって思う。


たまに饒舌に喋るときがある。
それは自分の説明だったり、何かの説明だったり、説教だったりで、会話のキャッチボールどころかピッチングマシーンとなる時、とても饒舌になる。そんなときこちらはとても気持ちよく喋っているわけで、余裕があるから小粋なジョークを挟むとか、わかりやすい例え話の変換だってできる。

そんなとき、空気を読まないバッターがホームラン急の打ち返しをすることがある。私は補充された玉を投げつくすまでノンストップで喋り続けたいから「へえ」「なるほど」以外のバッターは困る。そもそもそれを受け取るグローブはないし、自分の腹の中にあるボールしかこちらは用意できていない。「え?でもそれおかしくない?」とか割り込むな。一回全部投げさせろ。性能的にはよくできたピッチングマシーンだけど人間としてはスクラップ一直線である。

 

それでも頑張ってひととおり会話したあとになってからの「あの時ああいえばよかった」の反省会を今日も開催してきます。お疲れ様でした。